エッセー いたずらカラス 2018-06-06
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ご存知、あの真っ黒なうるさくいたずらの鳥である。この鳥をありがたがるというのは、極めて少なく敵のように、そして悪役のように扱われている場合が多いと感じる。それでも、何か、最後まで憎めない何かを持っているような気がする。
彼らの行動を面白いと感じる一面も少なくない。
私が小学生の頃に何を思ったのか、両親が庭でカラスを飼い始めた。まだ、子供のカラスのため飛ぶことはないのだが、姿は例のごとく真っ黒で大人のカラスとなんら変わらない。庭に手水鉢があり、小石を拾ってその中にポチャンと落とすのを、面白そうにカラスがやっているのを記憶している。それが、1回2回ではなく、延々とやっていたように覚えている。
カラスは、ひとの顔を覚えるとか、ぼーっとしている人間の頭をつつくとか、いろいろなことを言われるが、共通しているのことは「頭がよく」「いたずらもの」だということだ。頭がよくいたずら者である行動を題材としたお話や本は多くあり、行政いわゆる市役所や町役場の担当者や、農家の方々は、相当なご苦労があるのではないか。
そのカラスがわが家で飼われていたのは、両親のそういった興味からだと思う気がする。以前父親が、農家とカラスの戦いについて書かれた本を、これはすごいと言いながら興味深く読んでいたのを思い出した。農作物に片っ端からいたずらをするカラス、なんとか防ごうとする農家、これは戦いだ。カラスは、戦いだとはとても思っていなくて、楽しんでいたのではないだろうか。
東京都が、武蔵野の里山に住み暮らすカラスが、夜明け前に巣から飛び、まだ早朝のうちに無人の繁華街に飛来し、生ゴミを食い散らかすことの対策の話をニュースで見たが、対策というか駆除に相当ご苦労されたことだろう。彼らは、郊外のわが家から通勤するがごとく、おいしいえさ場に飛来するわけだ。そして、夕方には、お仕事帰りのごとく巣に戻って行く。「おかえり」と誰かが待っているのだろうか。
さて、伝助あなごで味をしめた私は、アナゴ釣りならぬアナゴ獲りが楽しみで冷凍にしたイワシやアジサンマのたぐいをエサに持って行くのだが、こいつを3回カラスに獲られてしまった。なんと間抜けなことかと自身で思う。
1回目2回目は、解凍するので置いておいたらきれいにやられた。まあ、むき出しにしていたので、どうぞお食べくださいというようなものであるが、桟橋係留中にそのボートのすぐ横である。勿論、私はボートに乗っていたのだが、おかまいなしでごちそうさまとなった。1回目は電話中、2回目はボーッとしていた。どこかで見ていて、しめしめしめこのウサギだろう。そして、3回目は、ラップにくるんで解凍をしていて、ちょっとボートを離れたら飛んで来た。ラップにくるんであるのをくわえて電柱に飛んで行き、ラップを剥がしながらサンマの切り身を食べた。その上、「アホーッ」と泣いてくさる。 本当に間抜けなことである。ハトもいるが、ハトはこんなことはしない。カラスだけである。
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細君曰く、あんたがマリーナに着いて、車から降りる時からずっと見ているんだと、だから、アナゴの餌を持っていないときは、カラスは来ないだろうと。言われてみると、アナゴの餌がないときは、来ない。電車で行ったときは、駅を降りたときから「来た来た」と見ているよ。と。とても本当とは思いにくいが、まるっきり否定できないところにカラスの不思議さを感じる。
ラップにくるんだエサも持って行くくらいだから、細君の言うことに妙に納得する。
夜明け、東の空が明るくなった出航の時にクラブハウスの屋根の高いところに数羽で止まり、鳴いている。前日にアナゴのエサを食べたやつだろう。「アホーッ アホーッ」と何回も鳴いてくさる。悔しいが勝てない。
もうひとつカラスに気づいた。彼らの持って行き方は、必ずくわえる。猛禽類と違うから足で掴んで運ぶのは見たことがない。持って行くサイズはくわえるのだからしれているが、彼らは臆することなく、食欲旺盛にその場で食べてしまうのだろうから、大きいものも危ない。30cmくらいの魚をくわえて飛んでいるのを見たことがある。泳いでいる魚をとらえる能力は、さすがにないから、死んだ魚か盗んだ魚だろう。しかし、飛翔能力はある。
今度は、タコを獲られないようにしよう。
昔、神様の怒りに触れて真っ黒にされてしまったカラスいう話を聞いたことがあるが、神様の怒りをかうくらいだから当然頭が良いのだ。
ある意味、迷惑だけど楽しい連中だ。でも、タコをくわえて飛んでいく姿を写真に撮れたら、これは面白い。どこかの写真コンクールで賞が頂けるかもしれない。タコを置いて、待ち構えて見ようかいな。