海上自衛隊4304「げんかい」
海上自衛隊ひうち型多用途支援艦です。
明石海峡から瀬戸内海には、多くの海上自衛隊艦艇が西進東進していますが、通常はいわゆる鹿ノ瀬東側の本船航路を航行していて、大型の護衛艦が航行する様は、堂々として他を圧倒する力があります。
それがこの日、明石沖のヒヤガリというポイント付近にいまして、そろそろ上島方面の状況を見に行こうかと思う頃に、この「げんかい」が播磨灘の北側の本船航路に滅多にないことでしょうが、進路を取ってきました。通常は姫路港近辺や家島諸島の船が通るところですが、戦闘艦ではなく大きさも護衛艦の半分もないのに、この色とシルエットは、あきらかに「船」ではなく「艦」であり、他を完全に威嚇します。
戦艦大和が当時あの信じられないような巨体で、広島呉の軍港を出港して、島の多いあの海域を航行する様は、見る者にとって恐ろしさと頼もしさを掛け合わせたような凄みであり、何か遠近感を失ったような見え方をしたのではないでしょうか。
その偉容に妙な感心をしながら見送り、こちらもひと休憩して上島に向けることにしたところ、海自艦を追尾することになり、速度17knotにて航行すると、その差が縮まり始めてきました。どうやら家島諸島西端の上島南側を目指しているので、最終的には私よりは南側の進路になるようで、こちらはやや北よりの西進になりました。海自艦と並走することなど通常あり得ないのですが、写真のようになりました。これが護衛艦であったら恐ろしくてこんなに近くには寄れません。それでも、数百メートル以上は間隔があいていますが、貴重な経験をしました。このあたりから、進路がお互いに開いていくので、間隔は離れ、また速度もわずかに当方が上でしたので、離れていきました。
さらに、前方へ大分に出たところで後方を見ると、また厳めしい姿です。とても古い映画「眼下の敵」で、クルトユルゲンス扮するUボートの艦長は、潜望鏡でこんなシルエットを見ていたのでしょうか。また、本物の大戦での潜水艦と駆逐艦の戦いは、孤独だったでしょうね。
帰宅後調べてみたところ、速力は15knotと記載されていましたので、13knotくらいで航行していたのでしょうから、なるほど追いつくわけだと思いました。オーシャンタグという分類で、強力な5000馬力のエンジンは、最大速力より最大牽引力に傾注しているらしいです。後部甲板上の丸いもの2個は、何やらわかりませんがロープで固定された積み荷のようで、webでの写真には、広い甲板になっていたので、輸送業務中ということでしょうか。
それで、この多用途支援艦の艦名はすべて○○灘という灘の名前だそうです。だからこの艦名げんかいは、玄界灘から来ているようです。それならば播磨灘のはりまもありそうですが、現時点で存在していませんが、生まれるかもしれませんね。